プーの棒投げ橋で遊ぼう

イーストサセックス州、ウィールドと称される地域にあるアッシュダウン・フォーレスト(Ashdown Forest)。この地は、A. A. Milne(A. A. ミルン)作、1926年出版の「Winnie-the-Pooh」(ウィニー・ザ・プー、くまのプーさん)の舞台である100エーカーの森のモデルとなった場所です。

プーが森の仲間達と「プースティックス」なる棒投げの遊びに興じた、プー橋(Pooh Bridge)または、プーの棒投げ橋(Poohsticks Bridge)も、この森の北側に見つけることができます。イギリスの森林を歩いていれば、よく出くわしそうな何の変哲もない橋ではありますが。

このプースティックスとは、どんな遊びかというと・・・橋の片側(川上)から、それぞれ小さな棒切れを川に投げ落とす、そして、誰の投げた棒切れが、橋の反対側(川下)から、一番最初に流れ出てくるかを競うという単純なもの。

また、プースティックの遊びをしていない時でも、クリストファー・ロビンも、プーも、ピグレットも、この橋から、川を眺めて時を過ごすのが好きでしたね。

私の持っている「Winnie-the-Pooh」(くまのプーさん)と2作目の「 The House at Pooh Corner」(プーコーナーに建った家)が両方収まっている本の表紙には、この橋で、1人と2匹が、川を見下ろしている姿の挿絵が使用されています。ちなみに、このプースティックスのエピソードが挿入されているのは、「プーコーナーに建った家」の方です。プー、ピグレット、ラビットとルーがプースティックスで遊んでいるところへ、川に落ちたイーヨーが、流れてくる・・・という話でした。
プーさんのオリジナルのイラストは、「たのしい川べ」(Wind in the Willows)のイラストも手がけたE.H. Shepard(E.H.シェパード)氏によるもの。イギリスの片田舎が舞台の物語には、プラスチック感覚のディズニーものより、シェパード氏のペンによってカリカリと描かれたものの方が、雰囲気にしっくりくるのです。

物語の登場キャラクター達の元となったのは、ミルンの一人息子で同名の少年クリストファーと彼のおもちゃのぬいぐるみたち。このぬいぐるみは、現在は、ニューヨークの公立図書館に保存されているとの事。ただし、E.H.シェパードは、挿絵のプーさんを描くに当たって、自分のテディーベアをモデルにしたそうです。ミルンのオリジナルの原稿は、ケンブリッジ大学はトリニティー・カレッジの、レン・ライブラリーで見ることができます。

本物のクリストファー・ロビンは、この物語が原因で、後に、学校などでからかわれ、また、自分の幼少時代を父親にのっとられたと、両親を恨むようになり、親子関係は冷却し、疎遠となったということ。更には、父は、子供時代や、子供というものに対して、思い入れも、感傷も持ち合わせていない・・・というような事まで言っていたようです。プーの物語が、いまだに世界各国の人間の心に子供時代への郷愁を引き起こすのとは、まるで裏腹。

いつだか、ラジオで、過去の英国首相ジョン・メージャーが、子供の時好きだった本、としてこれを取りあげ、子供の世界にそろそろ別れを告げねばならないクリストファー・ロビンが、「僕の事を忘れないでいてくれるよね。」とプーに尋ねる、物語の最後の部分を朗読していたのを覚えています。

"Pooh, promise you won't forget about me, ever.  Not even when I'm a hundred."
Pooh thought for a little.
"How old shall I be then?"
"Ninety-nine."
Pooh nodded.
"I promise," he said.

「プー、僕の事を、絶対忘れないって約束してくれる?僕が100歳になった時でも。」
プーは少々考えました。
「僕は、その頃、いくつになってるの?」
「99歳。」
プーはうなづきました。
「うん、約束する。」

そして、最後は、

So they went off together. But wherever they go, and whatever happens to them on the way, in that enchanted place on the top of the Forest a little boy and his Bear will always be playing.

そうして、ふたりは、共に出発しました。けれども、ふたりが、どこへ行こうとも、途中で何が起ころうとも、少年と彼の熊は、森の頂上の魔法の場所で、いつも、そして、いつまでも遊んでいることでしょう。

ジョン・メージャーだけに限らず、実物のミルンがどんな性格の人物であったかにかかわらず、この話に思い入れの強い人や、自分の幼少期を思い起こして、最終章にホロリと来る人は、まだ、それは沢山いることでしょう。

ミルンは近郊のハートフィールドという村に家を所有しており、ハートフィールドには、くまのプーさんグッズを売る「プーコーナー」という店があるようです。公共交通機関を使って、プー橋に行くには、ガイドブックによると、バスでまず、このハートフィールドへ行き、そこから歩きとなります。ちなみにハートフィールド村の中心までのバスは、イースト・グリンステッド駅か、タンブリッジ・ウェルズ駅から。橋の場所を載せた地図は、プー・コーナーで購入可能のようですが、私は、このお店、入ったことが無いので、断言はしません。

私達は、車だったので、プー橋に一番近い駐車場(プー・カーパーク)に車を泊め、ただ単に「Bridge」とだけ書かれた道しるべを追って、橋に辿り着きました。一切、商業的雰囲気はなく、ごく普通の森林の散歩道。それがまた、いいのかもしれません。実際、その手の商業的な場所は、前述のプーコーナーくらいで、駐車場にも、観光バスがとまっていて、ガイドさんに引き連れられどやどや観光客が歩いているわけでもなく。また、こういうバスツアーが何個も企画されてしまったら、地元から反対運動でも巻き起こりそうな気がします。アッシュダウン・フォーレストの生態の保存管理の必要もあるでしょうし。

現在のプー橋は、オリジナルではなく、新しいものだそうです。オリジナルの橋がぼろぼろになったのを、多少修築して、1979年に、ミルンの息子のクリストファーがオープンしているそうで、更に1999年に、ディズニーから資金援助を受けて、再築。まだ、比較的新しいので、確かに、綺麗で、しっかりしています。

橋に着くと、壮年男性が一人、橋から川を眺めていました。この人、もともとはロンドナーだったのを、かなり前に、イーストサセックスに引っ越してきたそうで、この橋は、以前にも孫を連れて遊びに来たそうです。彼の申し出を有り難く受けて、持ってきたプーさんの本を抱えて橋に立っているところの、写真を撮ってもらいました。彼は、私の本を手にとって、「あ、これは、両方の話が収まってるのか。こういうの、孫に買ってやろうかな。」

しばし、話に興じた後、彼は、やがて、川辺に座って、リックサックからサンドイッチと水筒を取り出し、ピクニックを始めました。その間、私とだんなは、せっかくだから、プースティックスを実際やってみようと、長さを変えた小枝を「レディー?ゴー!」で落として、競争。2回やって、1回目は私の勝利。2回目は、私の枝が何かに引っかかり出てこなかったので、1対1のひきわけ。

ところで、この川の水、かなり赤みがかった紅茶色をしているのですが、犬の散歩に通りかかった地元民風女性の話によると、「近くに鉄鉱石があったから」とのことです。

「フォーレスト」と名の付く、イギリスの古くからの森のほとんどがそうであるように、アッシュダウン・フォーレストも、かつては、王族達が鹿などを狩る、狩猟場として利用されていました。また、この女性が言った通り、遡る事は1~3世紀のローマ時代、そしてチューダー朝の15世紀後半から16世紀にかけては、特に、鉄の生産が盛んに行われた場所でもあり。ヘンリー8世の時代には、近郊のヒーヴァー城の主、おなじみアン・ブーリンのお父さんであるトマス・ブーリンも、ここの鉄産業に投資し一儲けしていたようです。

アッシュダウン・フォーレスト内には、橋以外にも、プーさんの物語に出てくる場所が何個かあり、時間と体力があれば、それを全部めぐるもよし。また、プーさんより、ずっと昔のアッシュダウン・フォーレストの歴史を思いながら、さらに遠くまで散策するもよし。私達は、この日はとりあえず、橋だけ訪問に寄ったので、水筒のコップから紅茶をすすっている男性にサヨナラと手を振って、駐車場に引き返しました。

この周辺(ウィールド)の他の観光地には、ブルーベル鉄道シェフィールド・パーク・ガーデンなどがあります。其々、過去の記事にリンクをつけてありますので、ご参照下さい。

*****

追記(2015年8月28日)

プースティックスの遊びをする際に、どういう枝が勝ちやすいか、という研究をした人がいると、昨日、ラジオのニュースで流れていました。この人、エンジニアだそうで、彼によると、比較的長く、太く、重いもので、木の皮がしっかりついているものが良いのだそうです。やってみようという人は、この目安を心して、良い枝選びをして下さい!

コメント